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huishi
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2016年02月26日

思緒在雨絲中流浪

微風絲縷,纏綿於滴滴invision group 洗腦落雨,珠簾細縷,泛起點點漣漪。雨逝了風,散落在雲裏;風浮了雨,迷失在天際。輕輕點點的蕩漾,窸窸窣窣地飄揚,風伴雨,雨隨風,零亂了思緒,在絲雨中流浪——〖聆雨〗。

連續的降雨,清涼了六月的天空,也濕漉了我的心情!迷迷茫茫的雨水打到窗上、沒有節奏、沒有旋律、但卻恰到好處,有種未成曲調先有情的感覺、像敲在鋼琴上、彈出一首紫色淡雅的優雅!

特別喜歡這種細雨霏霏的意境,很美,美就美在它的寧靜,它的柔軟,它的輕鬆。雖然總覺得生活中到處都是坑坑坎坎,可是看到清涼的世界,小雨如斯,好似夢裏的溫柔,又似裝滿了水銀般的回憶,那感覺像是三月的新雨,那味道又如春泥般讓人遐逸,想張開雙臂擁抱這味道,關不住的思緒在風雨中如細雨般纏綿綿不休,在雨絲中徘徊流浪。

絲雨,本是淒美的。我們那個年代,喜歡瓊瑤小說是很“潮”的事,也許是受其影響吧,中學時曾經幻想著有一天能與伊人在細雨中漫步,那將多麼浪漫的事,可是多年過去了,這樣的好事只有在小說和電視中出現,根本無緣與我。而現在想起來覺得有些可笑,更不可能有那種閒情逸致的優雅情趣了,但還是喜歡聽著雨落下的聲音,好似在紫色的夢中仿佛正相偎相依,又似正感受著夢幻般安詳的氣息,還似在傾聽著過往纏綿的訴說。

椅在寂靜的角落,若無所思地張望,窗外的細雨淋襲在不遠處水解蛋白的房頂上,飄飄灑灑、窸窸窣窣,濕漉漉的空間,給人以淡然的感覺,一切來的那麼輕盈、來的讓人難以察覺、就像一根輕輕落下的發絲、沒人在意,細細觀察卻是千絲萬縷、纏綿不休,既像是上蒼施捨的潤露,又似哪位仙子撒落的淚,柔情中伴著那麼淡淡的憂傷!

絲雨中的山巒,還有那迷茫的天空都是那般撩人。那個如夢幻般的飄渺,似傳說中的仙境,又似海市唇樓捉摸不定,迷迷茫茫中透著自然、粗狂,就那麼呆呆地凝望著那沁人心脾的飄渺,極力想像自己就站在群山的之上,置身於迷蒙的仙境之中,將自己的幾點塵事摒棄於其中,更準確的說,只不過幾抹不給意的渲染,卻又勾勒出怎樣的從容,酣暢淋漓。

絲雨中的空氣,是令人愜意的帶著濕潤的清新。水息的宣襲彌漫著清涼的味道,夾雜著幾分清爽的濕潤,惺忪的泥土味及幽幽的清香。大口大口地呼吸著,吸進來的是一次重生,呼出來的則是一份溫馨。對於我來說,這似乎就是氧氣,沒有它,也就沒有了氣息。

絲雨中的花朵,洋洋灑灑地都集聚成滴的小水珠。經過雨水的沖刷,在那葉子的綠色紋理後面透露著一些迥異的綠,偶爾光亮掠過花木,水珠折射出刺眼的、朦朧的。夾雜著褶褶的綠光,直直的射入我的瞳孔而落入視網膜上,綠得透徹。

雨絲,依舊瀉著,幾簇水息輕輕劃過臉頰,伴著迷茫的空間,一種柔柔的情絲漸漸彌漫母乳餵哺於心間,再一次遙望遠方,霧氣模糊了整個世界,思緒飄飛在空氣中,一吸氣,有種淡淡的思憶油然而生。回想過去,曾經的點滴漸漸清晰,記憶中空曠的雨舍,仍彌留著遙遠迷戀的味道,絲雨就象那潺潺的淺溪徜徉於我的記憶,美好的往事蕩起舒心的微笑,像蜜糖一樣甜蜜,又似陽光般燦爛……  


Posted by huishi at 12:32Comments(0)

2016年02月23日

何故白人なのか

音を記録しようとする努力はあらゆる人類が試みてきた。

細かいことは知らないけれど、三味線や謡などで用いる楽譜は非常に未完成なものに違いない。

音楽の伝承は師匠が弟子に手取り足取り行われてきたのが世界の通性だろう。

楽譜の発明により、師匠なしにその音楽を再現できるようになった。

楽譜を読むことが出来さえすれば、モーツァルトが頭に浮かべた音楽を、260年後の日本でもある程度正確に再現できるのである。

これってスゴイことじゃないだろうか。

音とは周波数である。

それをドレミファ・・・という基本音に分解した。

様々な周波数の共振(和音)を考慮した上でその基本音を決定したのである。

簡単そうに見えるが、この徹底した分析力、緻密さ、論理性は欧州人しか成し得ないものだろう。

彼らのこういう執念深さは、実に自然に身についていて、世界のスタンダードを手に入れることの重要性を最初から知っているように見える。

経済においても、政治においても、科学においても、芸術においても、スポーツにおいても欧州人のこの性質は遺憾なく発揮されている。

・・・・・・

さて、日本人はどうだろう。

生まれた技術、芸術、学術をさらに洗練されたものとして完成させる能力は第一級であるといえよう。

しかし、せっかく優れたものを生み出しても、そこで満足してしまい、それを世界スタンダードにする感覚が実に乏しいといわざるを得ない。

これからの日本が教育において補強しなければならない点は、まさにこのことではないだろうか。  


Posted by huishi at 11:36Comments(0)

2016年02月19日

今日の聖書朗読

「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんとおなじように、熱心に神に仕えていました。私はこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。このことについては、大祭司も長老会全体も、私の為に証言してくれます。実は、この人達からダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい、その地にいる者達を縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰する為に出かけて行ったのですreenex
 旅を続けてダマスコに近付いた時のこと、真昼ごろ、突然、天から強い光が私の周りを照らしました。私は地面に倒れ、『サウル、サウル、何故私を迫害するのか』という声を聞いたのです。『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『私は、あなたが迫害しちえるナザレのイエスである』と答えがありました。一緒にいた人々は、その光は見たのですが、私に話しかけた方の声は聞きませんでした。『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われました。私は、その光の輝きの為に目が見えなくなっていましたので、一緒にいた人達に手を引かれて、ダマスコに入りましたreenex
 ダマスコにはアナニアという人がいました。律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人でした。この人が私の所に来て、そばに立ってこう言いました。『兄弟サウル、元通り見るようになりなさい』するとその時、私はその人が見えるようになったのです。アナニアは言いました。『私達の先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからですreenex。今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい』」  


Posted by huishi at 11:51Comments(0)

2016年02月16日

きちょうめん

なんでも整っていないと気の済まない男が居たりする。
たとえば、畳の部屋にコタツを置くと、
その掛け布団が畳銅鑼灣 Hair salonの線に沿ってまっ直ぐになっていないと落ち着かない。
また、道を歩いていても、
お稲荷さんの幟 (のぼり) なんかが斜めに倒れかかっているのも
気になって仕方がない。
そこでこの男、お稲荷さんに断りなく
幟を一本一本まっすぐに立てかけるという始末。

曲がったものが大嫌い。
嫌いだと言っても
世の中に溢れるほど曲がったものが氾濫している。
それをいちいち気にすると、イライラはおさまらない。
アートの世界もその一つ、
芸術的に曲げている生け花なんかを見ていても
イライラする。
よその家に行ってそんなのがあると、
まっ直ぐに 活けなおすというから始末におえない。
そんな男が夢を見た。
この男が見た夢は、何のことはない、
毎日過ごしている自分の部屋そのものが出て来る夢。
だけども、いつもと様子が違う。
誰がどうしたのか、あちこち本が散乱していたり、
布団がひっくり返っている。
おまけに、どこから入ってきたのか、
泥までついている。
そんな男だから、「何てこったい!」
と思いつつも、キレイに片付けなきゃ気が済まない。
夢の中で一心に掃除をし始める。
汗をかきながら、片付けていたが、
あともう少しというところで目が覚めた。
ふと、ベッドの上に寝ていることに気づいた。
見渡すと自分の部屋。
いつものように、きれいに片付いている。
な~んだ、夢だったのかと思うが、
乱雑だった部屋が妙に生々しく思い浮かんでくる。
「たとえ夢でも、あの乱雑さは許せない、、」
この男には、あの夢の中の乱雑さが気に食わない。
記憶の中で、あの光景がチラチラ蘇ってくるのもイヤ。
さっき見た夢に中に入って、
残りをきれいに片付けなきゃ、この思いはおさまらない。
「夢の中に戻してくれ~っ!」  


Posted by huishi at 12:42Comments(0)